今日は、旦那さんと一緒に行永家住宅の一般公開を見に行ってきました。
舞鶴市小倉にあるこの住宅
現在も住んでおられるお宅で、一般公開の日にしか見ることが出来ません。
18世紀後半からこの地域の庄屋さんだったそうで
主屋・木屋(離れ)・米蔵・道具蔵・味噌蔵・新蔵が立ち並んでいます。
主屋の天井はとても高く 梁もとても太いんです。
これだけ大きな家を支える柱や梁ですからね。
立派な木材が使われています。
この家は、現存する瓦葺の農家として丹後地方で最も古いそうで
文政元年(1818年)の材木の購入手形や、文政8年や9年の墨書
大棟北端の鬼瓦には
「文政八年乙酉五月吉日 田辺大内町瓦屋 吉田忠右衛門直久」のへら書銘があり
ここから推測し、準備段階から10年の歳月をかけて建てられたようです。
主家で築180年を超えているんですよね。すごい建物です。
江戸時代を感じさせるのはお便所です。
刀掛けが上についています。
行永家の少し先に松尾寺があることから、田辺藩のお殿様がこちらのお宅で休憩されたんじゃないかともおっしゃっておられました。
お庭も広くて、手入れがされています。
木屋は建具上部には透かし模様があり、建具ごとに絵が違います。
離れである木屋は、手の込んだ細工が多いのですが、主屋は飾りがほとんどありません。
この木屋は明治の初めに建てられたようですので、少しだけ新しいですね。
でも、100年を超える建物って良い材料がつかってあります。
どれをとっても職人の技が光っています。
今、100年以上後世に伝えられるものってどれだけあるんだろう
重要文化財 行永家住宅
こんばんは。コメント有難うございます。
まずは旦那様から先日の総会に関しまして有難いご指摘、本当に感謝しております。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
ゆうさいくんの今後の行動に関しましては、まいづる田辺城まつりが非常に大きなイベントとなります。
絶対に成功させるべく行動して参ります。
私は子供の頃平野屋にいて夜の市のにぎやかな光景が今でも心の中に残っております。
何とか今の子供達にも体験させてあげたい・・・
そんな気持ちです。
一生懸命頑張るしかないのですがよろしくお願いいたします。^^;
★ソニックマイヅルさん
総会お疲れ様でした。
また今年度もよろしくおねがいします。
田辺城まつりでゆうさいくんの活躍が楽しみですね。
ゆうさいくんは田辺城とは切っても切り離せませんからね。
> 私は子供の頃平野屋にいて夜の市のにぎやかな光景が今でも心の中に残っております。
夜の市すごかったですよね。あの活気がまた商店街に戻ればいいんですが^_^;
私たちもがんばります。
舞鶴に住みながら、舞鶴の歴史や遺産について
あまり知らないことが多いことを気がつきました。
舞鶴の歴史についても、ちょっと勉強してみます^^
★okiさん
こんばんは
私もなんにも知らない人でしたが、西舞鶴に住みだし今の地域に住むようになって舞鶴の歴史に触れることが多くなりました。
子供達も学校で田辺城の勉強や、西舞鶴のお寺のことなどを調べたりするので知ったぐらいです。
まずは田辺城まつりの子供の語り部なんてどうですか?関が原の戦いのあたりの田辺城のお話です。
Re:ふくはらさん
子供の語り部があるんですか?
「出陣間際」のアレでしょうか?
田辺城の池でされてたのを見たことがありますね。
以前、岡山だったかの火縄銃隊がこられてた時に
田辺城まつりの撮影に使ってもらえたんです^^
せっかくなので、チェックしておきます!
★okiさん
関が原の戦いの直前の話で、少ない人数で田辺城に籠城し、敵の陣営を足止めにしたお話です。
昨年5年生だった息子が参加をさせていただき、シナリオを読んで、田辺城も細川幽斎さんも何気にすごいんだと思ってしまいました。
今年も5年生が【田辺籠城の一席】をリレー講談します。
他にも色々な催しもありますし、娘の中学や市吹の演奏もあるので是非お越しください。詳しくはもう少ししたらアップしますね。
Re:ふくはらさん
ありがとうございます。
以前の撮影のときは、別々に担当を分けて
いろんなところを撮影に動いていたので
きっと、わたしが撮影に行かなかったところであったのですね。
ちょっと、スケジュールがきびしいですが…
ぜひ、行きたいので。
なんとか、がんばります^^
★okiさん
籠城の語り部は昨年から始まりました。
もっと前に一般市民の語り部はあったようです。
毎年色々とされているのでゆっくり見れるといいですね。
なるほど。
では、池のところでやっていたのが
一般のだったのかな?
今年は、ぜひ行かせてもらわなくては!